愛する人との日常的なキスとビジネス、その密接な関係

(1998年8月23日)

「あらゆる政治現象は、恋愛に置き換えて考えることが可能である」と語った政治学者がいます。しかし恋愛のメタファーが援用できるのは、なにも政治に限ったことではないようです。政治は人間関係がことさら重要ですが、経営にもそれが言えそうです。ここでは愛情表現としての日常的なキスに注目したいと思います。

夏になると開放的な気分になるからでしょうか。最近あちらこちらで、キスをするカップルを目撃します。もっともこれは、「夏だから」というだけでなく、若い世代のここ数年の時代の流れと言える部分もあるのかも知れません。自動販売機の裏に隠れて、とか、ちょっと深い段階になってしまっている(ズバリとは書けないんです)方々の姿を見せつけられると、さすがに気分が悪くなりますが、最近は「何気なくスマートにキスする」という事例の割合が高くなっているような気がします。ここでいうスマートなキスというのは、いわゆる欧米の典型的なファミリーに見られるもので、若年から高齢者に至るまで、ある程度共通しているスタイル、という意味で使っています。いやらしさを感じさせない「愛情表現の一形態として」です。

昨年ドイツで行われた調査によると、毎朝、家を出発するときに奥さんとキスをしている人は、そうでない夫婦に比べると平均して五年ぐらい寿命が長く、しかも会社でも高成績を出している場合が多いという統計結果が出たそうです。

もちろんこれは、ただキスをすれば健康になる、というわけではないでしょう。毎日キスをしあうような夫婦は仲が良く、仲が良いとコミュニケーションも大事にする。そして心理的にも落ち着いて穏やかになり、仕事にも趣味にも余計に打ち込むことができるようになる。そういう事例が多いことから、統計的に見た場合にそういう結果になった、というだけのことかもしれません。ただ、うがってばかりいて見ても面白くないので他に何か要因は無いでしょうか。キスそのものの持つ背景や、その隠れた役割にも、何か秘密がありそうな気がするのです。

キスは、そもそもサンスクリット語の「クス」(抱きしめる)という語源をもっています。私はここでは情愛や尊敬を示す愛情表現としての「挨拶のキス」を取り上げていますが、当然のことながら、性交渉の一部としての「性愛のキス」もあります。歴史や文化によって両者が併存しているところもあれば、そうでなかったところもあるでしょう。当然のことながら、唇によるキスという動作自体、必ずしも人類に普遍的なものであるとは言えないようです。

例えば日本ではどうだったかというと、西園寺公望がイギリスへ行った際に、現地の小さな子供からキスされてひどく驚き、「後に聞いたところ、それが非常に親しい間柄でのみ交わされる愛情表現であることを知って納得した。これは日本人にとっては耐え難い悪習であろうが……」などという記述が残っています。また、よく雑誌で見られる読者参加型の「人生相談Q&Aコーナー」が日本で最初に始まったのは大正時代のある大手の新聞紙上ですが、その第一回目の質問を見ると、婚約を済ませたばかりの女性の投書が掲載されています。かつて別の男性から無理やり接吻をされた経験があるのだが、そんな汚らわしい悪魔のような私の体、それを新しく夫となるべき人に捧げても良いものだろうか。それとも結婚前に自殺をした方がその人のために良いのではないか、という切羽詰まった、まじめな質問が寄せられています。江戸時代の春画を見てもわかるように日本では全体的に言って、性愛のキスはあっても、日常的な挨拶としてのキスは存在しなかったようです。

そして日常的な愛情表現である挨拶のキスは、一般的に言うと、身体接触を忌避する雰囲気を持つ社会や、対等な関係性に乏しい社会では、なかなか成立、普及まではしないようです。

さて、それではなぜ私がキスにこだわるのか。それは私が愛情に飢えているとか、そういう理由ではありません。(^^;) 私が前述のアンケート調査を聞いた数日後のことです。ある大手企業の役員の方がレストランでこんなことを口にされたのです。

「私は今、七十一歳ですよ。でもこうして元気はつらつ、体も心も頭脳も元気です。なんでだかわかりますか? それはね。私は今でも毎朝、家を出るときは必ず、六十八歳になる妻と、行ってきますのキスをするからなんですよ。愛しているよ、と言ってね」

この方は、某大手ビールメーカーのトップをつとめていらした方(「スーパードライ」や「十六茶」を陣頭指揮して成功へと導かれた方、なんて言ったらバレちゃうかな?)です。酒の席での発言とは言え、ドイツのアンケートと通じるような部分を感じ、ちょっとした偶然が気になって、いろいろ考えてみたのです。

この発言には賛否両論あるとは思いますが、私の身の回りにいる社長さんを見回してみると、仲の良い夫婦(少なくとも私にはそう見える)が多い気がします。毎日キスをしているかどうかは聞いたことはありませんが、聞いてまわったら、興味深い結果が出るかも知れません。

朝日ソーラーの林社長は、事業の行き詰まりを迎えるたびに、奥様の心強い言葉に励まされ、それが大きな力になったことを告白されています。講演会でそれを話される林社長の姿は、奥様への限りない愛情が垣間見えるものでした。

マイクロソフト日本法人の成毛社長は、ビジネスマン一年生に向けて書いたコラムの中で、徹底的に働き尽くすべきであるということを、様々なノウハウや根拠を並べながら主張されています。しかし面白いのは、その最後の最後の結論部分を、家族との交流の重要性に割かれている点です。休日は一切の仕事をせずに、徹底して家族(両親よりも、夫婦間や子供との関係)との時間を大事にするべきだということを強く訴えられています。

大前研一さんは、アメリカ人である奥様との仲の良さがよく知られています。ビジネス論の著書が圧倒的に多いなかで、珍しく人生論、生活論を展開される著書『親が反対しても、子どもはやる』(ジャパンタイムズ刊)の中で、妻との愛、家族とのかかわり、それらのもつ素晴らしさに非常に多くのページを割かれています。

これらは非常に興味深い点ではないかと私は思います。他人に表明するのが恥ずかしいだけで、実際はそういう信念を持って行動している人も意外と多いような気がします。口にして表明する人も次第に増えてくるのではないでしょうか。「仕事ばかりが人生ではない」というムードは次第に広まりつつあります。夫婦の関係を大事にし、家族思いの経営者、ビジネスリーダー的存在の人、そういう人は多いでしょうし、さらに言えば、そういう人でなければ仕事面でもなかなか成功しないようになってくるのではないでしょうか。

「人生の伴侶」とのつきあい方のスマートさ、これが家庭の中でも、家庭の外でも基本になってくるのではないかという気がします。もちろんこれは、夫婦間だけでなく、親子の間に拡大することもできると思います。ただここで夫婦間の愛情表現を重視するのは、親子間の関係よりも「パートナー」の性質が濃いからです。そしてなぜキスにこだわるのか、しかも「日常的なキス」にこだわるかと言えば、そこに対等な関係性が成立していないことには、なかなか難しい習慣であるからです。明示的でないにしても、暗黙的、潜在的に男尊女卑の気風のある間柄では、日常的なキスは成立しにくいのではないかと思います。つまり、唇を相互に触れ合わせるキスは、動作そのものに、二人の対等な関係性が含意されている点で、大きな意義があるわけです。

(キスひとつで、そんなことを言うのは、言い過ぎでしょうかね?)

日常的に「愛しているよ」と言い合うこと。日常的にキスをしあうこと。そこには、夫婦間に対等な関係性が成立していることの相互理解が存在して、お互いに高めあおうという意識が共有されている必要があるのではないでしょうか。ここには、上司が部下をたばねて伸びていこうとするに際しても、経営者が社員を思ってみんなで成長していこうとするに際しても、示唆を与える部分が多いと思います。

自分の体(体重や体調など)のマネージメントすらできない人は、組織のマネージメントもうまくできない、と見なされる傾向があります。それは、ある程度実際に当てはまることだと思います。それと同じように、夫婦や子供などの「愛する人」と共に歩むことの素晴らしさと重要さを意識して生きていく人でないならば、部下や同僚たちと共に歩んでいくこともまた難しいことなのではないか、私はそのような気がするのです。