「わたしが舞妓になった理由」

(2001年12月28日)

はやいことにもう年の瀬です。年末を使ってこの一年間を総括し、年始を使って一年の抱負や目標を固めるのも良いでしょう。プライベート面だけでなく、仕事面で自分がどれだけ貢献できたか、どれだけの成長を遂げることができたか、といったことを振り返ることも大事だと思います。

「ドッグイヤー」と言われるように、7年がわずか1年のように感じられる程の高速ビジネス社会です。仕事面でもスピードを速く、効率良く、しかも質の良い貢献が期待されるようになっています。ビジネス本や雑誌でも、その手のハウツウ本、ノウハウ本があふれています。「スピード」と「スキルアップ」は、より重要性を増した、大事なキーワードになっているようです。

その反動からでしょうか。一方で人気に拍車をかけ、創刊ラッシュにもなっているのが、雑誌「サライ」「BRIO」「一個人」「日経おとなのOFF」といった、いわゆる「ゆったり」「くつろぎ」をテーマとする雑誌です。かといって、「ぼけっと」「だらっと」したものでもなければ、「わいわい」「がやがや」というものでもありません。

ポイントは、「しゃきっと」、「凛とした」雰囲気をもっているという点です。「ディズニーランドよりは、料亭と温泉旅館」とでも言えば、ちょっと大袈裟ですが、わかりやすいかもしれません。


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この秋・冬の号でよくとりあげられたのが、京都特集。ひときわ目を引いたのが、月刊誌OBRA(2002年1月号:講談社)の表紙です。( http://www.o-obra.com/shimen_back/200201/index.html )

写っているのは舞妓さんと芸子さん。京都の旅館や街並み、美しい食事やお酒、お茶屋さんでの遊び方から、最近人気を増す「お茶屋バー」まで、たくさんのくつろぎ方が紹介されています。

先日、京都の祇園に行った際、たまたまこの表紙を飾る舞妓さんご本人と、お話しをする機会がありました。彼女の名前は、照枝さん。岡山県出身の17歳です。

大雑把に分類すると、芸者は芸子と舞妓に分かれます。芸者修業中の少女が舞妓。その舞妓さんが修行を重ねて芸を習得すると芸子となります。明治、大正、昭和時代を見ると、10歳前後の少女が仕込みの契約で下地っ子として雇われ、雑用に従事しながら古典芸能を稽古。12歳ごろに舞妓となり、宴席では三味線はひかずに舞を中心にしながら接客。その後17歳ごろになって芸子として一本立ちするというのが基本型だったようです。

その照枝さんと話をしているうちに、彼女が舞妓という仕事に心底から誇りをもち、舞妓としての道をまっしぐらに歩む姿勢に心を打たれました。高校に行かずにあえて京都まで一人で出てきて舞妓になった、その理由を知りたくなりました。そこで出てきたのが冒頭で紹介した言葉。

「わたしな、本当はな、京都の家に生まれたかったんどす」

自分は生まれながらにして京都で舞妓としての人生を歩み始めたかった、というのです。「舞妓さんの姿のかわいらしさにあこがれて……」というようなものではありません。岡山出身の彼女は、京都で生まれることができなかったということだけで「でも、親は選べないし、岡山で生まれてしまったので、私のその願いはもうかなわないから……」と言います。

「いまの職を全うするべくして生まれてきたのだ」。そういう意識で自分の仕事をやっている人が、はたしてどれほどいるでしょうか。若干17歳の若さにして、それ程までの強い意識で仕事にあたっているその姿に、私は感銘を受けました。「全人格をかけてまでして何事かをきわめようとする一途な真剣さ」には、特有の素晴らしさ、独特の美しさがあります。


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そんなときに思い出されたのは、昔、京都の芸子さんから教えていただいた話。おそらく半世紀近く仕事をされてきたであろう、60代前後の芸子さんです。話題は近年の芸者文化にまつわるものとなり、その衰退ぶりに話が及び ました。

「最近は、芸子や舞子とどう遊んだら良いのかわからないお客さんが多くてね、私たちが呼ばれたのはいいけれど、遊び方を知らない人たちだったりするとね、かえって高くつくと思うんですよ」

芸者文化の衰退の背景には、遊びに来るお客様の質の低下という事情もあるといいます。例えば、伝統の遊び唄を知らない、芸者遊びを知らない、などです。こうした傾向は、十数年前からあらわれるようになったようで、今では単なる「接待嬢」程度にしか考えないようなお客様もいるとのこと。

ひと昔前の経営者や有力者であれば、親しくなるためのつきあいという意味もあって、このような場での接待がうまくできるよう、歌や遊びを一生懸命に勉強したのだそうです。

そういう、意欲的なお客様が多かったので、芸子さんや舞妓さんたちも、その期待にこたえるべく、技の磨きに一層真剣にとりくんだといいます。

長年の修行を積んできた真の芸子は言わば、生きた伝統文化であり、生きた文化の魅力をどう引き出すか、どう楽しむかは、お客様の手腕にもかかっています。そこには芸者とお客の両者間での目に見えない真剣勝負があります。

前述の「遊び方を知らない人たちだと、かえって高くつくと思うんですよ」という意味は、単なるおしゃべりや鑑賞が目的だと、伝統文化を引き出すことができない分、費用対効果が低くなるということです。

京都の写真店の中には、一般人が舞妓の格好に変装し、その舞妓姿の写真を撮ってくれる店があります。例えばその女性が舞妓姿のまま、飲み会の席にやってきて、隣に座って接客したとしたらどうでしょう。もはや、どのお客様も、その女性が「偽物の舞妓」だと気付かないような時代になりつつある わけです。

「最近のお客さんは……」。接客の仕事はお客様第一のはず。そのお客様へ小言を言う程までに、仕事に対する誇りがあり、それゆえに、伝統が崩れていくことへの嘆きもあるのでしょう。そこに、芸子としての仕事に対する徹底した強いこだわりを感じることができます。

そのこだわりは「自分たちはたしかに接客業にたずさわる人間ではあるが、単なる接客業ではない。伝統文化の体現者である」との使命感と自負心です。


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仕事の細かいテクニックだけではなく、仕事にとりくむ姿勢そのものから放たれる何か。照枝さんと他愛も無い話などをしつつ、これはいったい何だろうかと考えていました。

京都では、旅館や料亭、伝統あるお餅やさんや茶室、お寺などをいくつかまわりました。ゆったりとした時間を味わいつつも、しゃきっと凛とした空間を感じることができました。目にしたもの、耳にした話、肌で感じたこと、地元の方とのちょっとした話のやりとり。いろいろなことがらを総括しなが ら考えていたとき、ひとつ感じたことがあります。

「仕事のできる人」が評価されるのは、仕事の実績をあげているからです。そして実績をあげることができている要因は、地道に効率的に仕事にとりくんできた結果としての高い実績だけでなく、前述したように、そこに、お客 様や周りの人たちを圧倒するような、「迫真のうつくしさ」や、そこに伴う「固有の鋭さ」が漂っているがゆえの実績というものもあるのではないでしょうか。小手先のビジネステクニックももちろん大事ですが、それだけでは仕事の達成度に限界があるのではないかと思います。

仕事のハウツウ本だけでビジネステクニックの技術向上をするだけでなく、内面の向上も大切にしていかなければと思いました。お客様の満足を達成させ、それを通じて、自分の所属する会社の満足(必達目標)を達成させ、その結果として、自分自身の満足(各自の人生目標、夢など)を達成させていく。この循環をつくっていくためには不可欠な要素であろうと思います。

スピード社会だからといってひたすら忙しさを理由にし、小手先のスピード仕事だけで、見せかけ的な実績作りに走っているだけなのではないか。仕事をしていくにあたっては、自分がそんな状態になっていないかどうかを、ことあるごとに内省していく必要があるのだと思います。その実績が、はたして実績としての完成物になっていると言えるかどうか、ということです。

私は仕事を通じていろいろな方々に喜んでいただきたいと思っています。そしてそれをより効果的に実現していくために、また、自分自信に反省を促しつつも、より前向きに人生に挑戦していくためにも、また京都の街を訪れたいと思っています。